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「ベテスダの池でのいやし」(9月のお話から)

   チェリーキッズ・ジュニアは、毎月1回日曜日の午後に行っている中高生会です。
   詳しくはこちらをご覧ください。


   この記事は、スタッフが中高生のために毎月発行しているニュースレターからです。
 

「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことを知って、彼に言われた。『よくなりたいか。』 病人は答えた。『主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。』イエスは言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい。』」
     ヨハネの福音書5章5~8節


 イエス様は、このとき、ユダヤの中心であるエルサレムに上られた。おりしも、エルサレムはユダヤ教のお祭りの最中だったので、町にはたくさんの人が繰り出していて、とても賑やかでした。しかし、イエスさまのまなざしはこの祭りに集まった群衆ではなく、少しばかり外れにあるベテスダの池のそばの回廊に注がれていたのです。そこには、大勢の病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者がいた、と聖書には記されています。イエスさまのまなざしは、その大勢いる病人の中の一人の人に注がれていました。その人は、38年もの間病気になっている人でした。
 イエス様は、多くの中から、長い間病気にかかり絶望しているひとりの人を選んで、その人の病気を癒されました。しかも、その人はイエス様に会ってまで、言い訳をするような人でした。コリント人への手紙第一1章28節には「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれた。」とあります。いうなれば、選ばれる資格のない人を、神は選ばれると言うことになります。それは、神の力がその人を通して現れるためです。
 その人に、イエス様はなんというお言葉をかけたのでしょうか。イエスさまがかけた言葉は「よくなりたいか」と「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」という二言だけです。38年もの間、病気に苦しんだ人に、イエス様はなんてことを言うのかと思われるかも知れません。しかし、よく考えてみてください。その言葉の内容はこの人が38年間懇願していたことではありませんか。そして、イエス様の言葉はそのとおりに実現するのです。
 ヨハネの福音書20章31節にはこう書いてあります。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることをあなたがたが信じるため、また、信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」と。そのまま単純に受け入れ、聞き従う人は幸いです。               
(スタッフK)
by sagaech | 2010-10-11 16:09 | チェリーキッズJr(中高生会)
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