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「神様に、真の親の姿を見よ」(祝児式礼拝)

   日曜日の礼拝で牧師がお話した聖書のメッセージです。
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祝児式説教     2013.11.17
  「神様に、真の親の姿を見よ」
  イザヤ書49章14-16節



1 最高の愛であるはずの「親の愛」が崩壊したら・・・
 「親の愛」は、世の中では最高の愛だと言われます。それは最も純粋な愛で、他のどんな愛より献身的で無償の愛だと。特に、母親が自分のお腹を痛めた子どもを思う愛は並大抵じゃないですね。震災の時も、お母さんが幼い子を抱いたまま亡くなっていたという話を何度か聞きました。そんなふうに、母親というものは、自分の体を盾にしてでも我が子を守ろうとします。そんな話を聞くと、「やっぱり親が子どもを愛する愛は偉大なあ」と思います。
 その一方で、正反対の現実もあります。我が子への児童虐待です。子供を虐待する大人の6割が実の母で、続いて多いのが、実の父親で、これも四分の一もあるんです。お母さんに虐待が多いのは、子どもと一緒にいる時間が多いからだと思います。お父さんは仕事で、祖父ちゃん祖母ちゃんは一緒に住んでいない、おまけに近所付き合いもほとんどない。子育ての大変さを一人で抱えるストレスが溜まって子どもに八つ当たりし、思わず虐待しちゃう・・・。でも、そういう理由だけではないケースも、色々あるようです。
 
 ある精神病院の院長が、患者さんから聞いた虐待被害の実態をインターネットで公開しています。赤城高原ホスピタルの先生ですが、もちろん患者さんの同意の下になさっています。先生のお話では、そうした虐待を受けた人たちの悲鳴は、ほとんど知られず闇に葬られているそうです。そんな悲鳴を公開することで、少しでも虐待の歯止めにつながって欲しいと願っておられるのだと・・・。
 実際、そこには信じられないような虐待の話が沢山報告されています。注目すべきは、親から虐待を受けた子どもたちが、非常に重い症状にずっと悩まされ、人生がメチャメチャになっていることです。
 ある18歳の女性の体験です。
 「小学2年生の頃だったと思います。算数の点数が悪くて60点でした。私が土下座して謝ったけど、お母さんは私の頭をスリッパのまま足で踏みつけました。何度も何度も。『産まなきゃよかった、死んでしまえ!』と怒鳴りながら・・・。でも、悪いのは私、悪い事をして罰を受けるのは当たり前です。お母さんは悪くありません。」この方は今、解離性精神障害を患っておられ、自傷行為もあるそうです。
 別の方のお話です。
 「父は・・・、酒は飲まないけれど、短気で切れやすく、一旦怒り出すと手が付けられなくなる暴力男でした。2歳年下の妹は・・・、いつも被害を受けていました。妹が3、4歳の頃には綱で縛り上げ、手の甲に電気ショックを与えていました。24歳の今でも、その傷が両手の甲に残っています。そんな暴力で、妹が泣きわめくと包丁を顔の近くに投げつけたりしてました。・・・妹が20歳代に自殺未遂を繰り返すようになったのは、そのことが関係していると思います。」
 その妹さんは、摂食障害と薬物依存とアルコール依存症、解離性障害も患っておられるそうです。ここでは紹介しませんが、もっと酷い話、特に、性的虐待の話が沢山あります。報告されている話は氷山の一角なんですね。平和に見える日本の家庭にも、信じられないような事が、どれほど起こっているのでしょうか・・・。

 なぜ、こんなことが起きるんでしょう?
 聖書は言います。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。・・・」つまり、「普通なら母親は、自分のお腹を痛めた子どものことは忘れない、憐れまないではいられないものだ」と言うんです。ところが、それが通用しない、しかも、そういう親は特別だ・・・ということでもないようです。子どもを可愛がっていた母親が、離婚して、再婚した途端に人が変わったようになり、突然、我が子を虐待し始めることもあります。
 残念ですが、それほどに、「人間の愛」というものは、たとえ「親の愛」でも不確かで、弱さがあって、もろいんですね。自分のお腹を痛めた子でも、場合によっては「産まなきゃよかった」と思う、思うだけじゃなく、実際に生まれなかったことにもしちゃうんです・・・。
 

2 親子問題の解決は、神様の「真の親の姿」を知ること
 そういう問題を解決するには、どうしたらいいんでしょうか?人生相談に尋ねると、いろんな知恵を教えてくれるでしょう。でも、真の解決は、人間的な知恵で何とかなるのでしょうか・・・? 
 聖書は、こういう解決の道を与えています。「親とは本来どうあるべきか」を、「本当の親」と言える方から教えてもらうことです。でもいったい誰が、教えてくれるんでしょう?歪んだ「人間の親」には期待できません。
聖書は「それは神様だ」と言います。神様が、「本当の親のあるべき姿」を示してくれる・・・。なぜでしょう?それは、神様こそは、私たち人間にとっての「本当の親」だから、あらゆる人々の「天にまします究極の父」だからです。
 
 イザヤ書49章にこうあります。
 「しかし、シオンは言った。『主は私を見捨てた。主は私を忘れた。』と。 『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらに あなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。』」

 「城壁」とありますが、神様はこれを、「シオン」と呼ばれるエルサレムの人々に語られました。エルサレムは昔、城壁で囲まれていました。その街が敵の軍勢に滅ぼされた時、人々は、「神様は私たちを忘れているんだ・・・」と絶望しました。でも神様は、「いいや、そんなことはない!」と仰せられました。「わたしは今も、あなたがたの住むエルサレムの城壁をしっかり見つめている。わたしは、あなたがたを絶対に見捨てず、忘れない!」と。
 なぜでしょう? それは神様が、彼らにとっての父であられたからです。そして私たちにとっても、究極の「天におられる父親」なのです。

 私たちは、そんなふうに意識してないかもしれません。「父」と言えば肉親の父のことで、「天の父」と言っても、父親にちょっと似た点があるくらいの意味だろうと・・・。だけど、本当はその逆です。私たちの「本当の親」は、実は、この神様なんです。私たちの存在を造られ、この世界に送り出された、全ての人にとっての「魂の父」は、天の神様です。だから、「本当の親の姿」は、神様の中にあるんです。「この世の親」はむしろ、「本当の親である神様の代理人」です。神様から「神様の子どもたち」を預かって育てる務めを任された者。だから、「この世の親」は、そもそも完璧ではなく、当然いろんな欠点があるんです。

 では、「本当の親」の姿を、神様はどう教えているんでしょう?
 16節を見ましょう。「見よ。わたしは手のひらに あなたを刻んだ。」
 「手のひらに刻む」とは、「絶対に忘れない」ということです。時々、手のひらにメモを書くのは、大事なことを忘れないためですね。私は、石鹸で手を洗って、手のひらに書いたメモを消しちゃったことがありました。でも、「刻み込んだ」ら消えません。そんなふうに、自分の子どものことを何があっても忘れず覚えている。しかも、単に「記憶している」という意味ではなく、いつでも心に留め、心配し、祈って思いやる。それが「本当の親」だと、神様は仰っているんです。
 また、「手のひらに刻む」とは、「とても大切なものとして握り締める」ことも意味します。手の甲は握り締められないけれど、手のひらにあるものは、いつでも握り締めて、大事に守っていられる。しかも、「刻む」とは、非常に痛い思いをすること。つまり、どんな痛みや犠牲も厭わず、命懸けでしっかり握り締めて守ろうとすることです。その痛みには、体の痛みもあれば、心の痛みもあるでしょう。時には、「自分の中の『親』としてのエゴと葛藤する」痛みもあるでしょう。でも、「本当の親は、そういう辛い痛みも乗り越えて、子どもの最善を願い、子どもを守る。他人には出来ないことだ」と神様は仰ってるんですね。

 果たして、人間の親に、そこまでのことが出来るでしょうか?ちょっと無理なこと、神様しか十分果たせない「究極の理想像」に過ぎないんじゃないでしょうか? 
 そうかもしれません。でも、それでもいいんじゃないでしょうか?私たちはむしろ、「自分は、親の務めを十分には果たせないかもしれない。だけど、本当の親である神様は、私の子どものことも『手のひらに刻んで』下さっている!」そう思えばいいんじゃないでしょうか。そうやって、「真の親なる神様」に励まされながら、「親の務め」に勤しんで行けばいいんじゃないでしょうか。


3 神様の「真の親の愛」を受けた時、子どもも癒される
 今まで親の立場を話してきましたが、最後に子どもの立場の話もしたいと思います。実は、「神様の中に本当の親の姿を見る」ということは、子どもにとっても非常に大きな恵みとなります。先程、親から虐待された子どもたちの話をしましたが、その方々は、いろんな形で情緒不安定になっておられました。それは、「自分の親から本来受けることが出来るはずものを、受けられなかったから」ではないかと思うんです。
 私たちは、親から大切に愛されることによって、心に「安らぎ」が湧いて来ます。「自分に対する健全な自信」とか「自分は生きる価値のある者だ」という安心感も培われます。そういうものは、親が与えてくれることに意味があります。親は子どもにとって、特別な存在だからです。親は、子どもにとって、「自分の存在の源」。自分をこの世に送り出してくれた人であり、共通の遺伝子を持つ自分の一部みたいな存在です。そこに居るだけで、理屈抜きで安心感と存在意味を与えてくれる相手です。
 つまり、親の他に「おまえなんか産まなきゃよかった」と言える人はいないように、誰一人親に代わって「おまえを産んで本当によかった」と言ってやれる人もいない・・・ということです。もし親からそう言ってもらえたら、他には誰も自分を認めてくれる人がいなくても、「お父さん、お母さんが認めてくれているからそれでいい!」と、子どもは安心できるんじゃないでしょうか?だからこそ、その「安心」を親から受けられなかった時、子どもは物凄く不安になります。情緒が不安定、心が栄養失調みたいになってしまうんです・・・。
 けれども、たとえ、そういう子でも、神様に出会って、神様から深く愛されていることが分かったら、変わります!癒されて行くんです。それは、神様こそが「全ての人にとっての究極の親」だからです。「人間の親」が十分に与えることが出来なかったものも、「天の真の親」が、代わりに溢れるほど満たし与えて下さることが出来るからです。

 振り返ると、私自身、そういう恵みを体験させてもらったと思います。 私は別に、親から虐待されたわけじゃありません。だけど、親との関係が良かったか・・・というと、ある時期までは、そうではありませんでした。よくある話ですが、父との間にシコリがありました。
 父は無口で、家族と笑って話をすることが滅多にない人でした。だから、父とは心の距離があったんです。そんな父は、私がクリスチャンになる時に猛反対しました。高校時代には、聖書を読んでいるのが見つかると、父から取り上げられて殴られました。大学時代に私が鬱になって退学しなきゃいけなくなった時は、父から物凄く叱られました。まあ、何年分もの仕送りを無駄にしたんで当然ですが、父は、「おまえがキリスト教にかぶれているから、こうなったんだ!」と、怒鳴りつけたんです。本当は、鬱になるほどの悩みがあったので、キリスト教に救いを求めたんです。だけど、そういうことを全然分かってくれませんでした。
 そんな父は、私にとっては正直、苛立たしい存在でした。父は父なりに、私を心配したんでしょう。でも、何とも的外れだった…。一番分かって欲しい事を分かってくれず、そればかりか、私が一番大事にしているものを攻撃して来るような親でした・・・。
 けれども、聖書を読み、神様を知るにつれて、私も「天におられる本当の親」を知りました。その天の親は、この世の親が全然私を理解してくれなくても、私を誰よりも理解し、私自身のどうにもならない弱さもそのまま受け止めて下さり、私を永遠の愛で愛して下さっているんだ・・・と知りました。
 そうしたら、私の中に、「この世の親子関係では満たされなかったものを十分に満たしていただいた」という満足感、充足感が湧いて来たんです。 同時に私は、不思議と父のことも、それまでとは違ったふうに見られるようになったんです。たぶん、父のことを、「天の真の父」の視点で見られるようになったんですね。「父も、私と同じように『天の神様』の子どもであり、いろんな欠点を抱えながらも、この地上で、なんとか私のために、親の務めを頑張って来てくれたんだ・・・」と。そうしたら、苛立ちよりも、感謝と尊敬と慈しみの気持ちが湧いて来たんですね。「父だって大変だったんだ。なのに、問題だらけの息子で申し訳なかったなあ・・・」と思えるようになったんです。
 その父が年を取って足元がふら付くようになってから、親子で岩手県の温泉に行きました。露天風呂に一緒に入ったんですが、歩く所が平らじゃないので、父はフラフラ危なくて…。私はそんな父の手を引いて、ゆっくりゆっくり歩き、次はこっち、次はこっち・・・と露天風呂巡りをしたんです。当然のことをしただけですが、後で他のお客さんから「親孝行だねえ」って誉められたんです。私は、初めてそんなこと言われて照れまくりでしたが、ふと思いました。「もし、天の本当の父である方を知らなかったら、とてもあんなふうに出来なかっただろうなあ・・・」って。


まとめ    
 私たちは、「血が繋がっているから」というだけで、幸せな親子になれるわけではありません。神様という「真の天の父」を知ることにこそ、本当の幸せな親子関係の秘訣があるんです。「皆、天のお父様から命がけで愛されている子どもなんだ」と分かる時、親は本当の親になり、子どもは親を健全に敬うようになるんです。だから、全ては「神様の中に、本当の親の姿を見出すこと」から始まります。
 願わくは、皆さんのご家庭で、この「天の真の親である神様」を皆で一緒に仰いで生きるという営みが、末永く、ご家族のライフスタイルとなりますように、心からお祈りしたいと思います。





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by sagaech | 2013-11-23 19:11 | 礼拝メッセージ
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